『恋人たち』はどういった着想から生まれた作品ですか?
最初は『サンライズ・サンセット』(12)、『ゼンタイ』(13)に続くワークショップ3部作のつもりで、ワークショップのエチュードをもとに膨らませていこうと思ったんです。でも、あまり上手くいかなくて、きちんと自分に引き寄せた物語を100%オリジナルで作らないといけないな、と。一方、ワークショップで出会ったアマチュアに近い俳優たちが、それぞれの限界を超えるようなものでなければ、彼らの未来に繋がるものになりません。その辺のさじ加減が難しくて、台本を書くのに8カ月も掛かってしまいました。プロの役者さんを含めて、みんなアテ書きです。書き上げたら、初めて本物のセリフが書けたような気がして、これまでで一番いい脚本になったと思います。
3組の「恋人たち」の物語という設定はどこから出てきましたか?
『恋人たち』というタイトルは最初に決めていたものです。3人の人生を描くだけでなく、その周辺にいろいろな恋人たちの姿を織り込みながら、背景にいまの日本の空気が見えてくればいいなと思いました。
主人公のキャラクターなど、扮した俳優たち自身から取り入れた部分もありますか?
はい、彼らの個性を理解したうえで書いています。篠原篤くんは人柄がよくて、九州男児らしく頑固で、ちょっと見栄っ張り。じゃあ、どうすれば彼を生かせるかというところから、不器用で、何をやってもすべて挫かれていくという役柄ができあがりました。成嶋瞳子さんは、彼女のエチュードをワークショップで見ていて、ポッと出る何気ない言葉がリアルで面白かったんです。だから、生っぽい、生活感のある女をやらせたらはまるなって。弁護士役の池田良くんを含め、個性がわかっていたので、上手く回る役柄を考えました。クランクイン前も、前々日まで4日間リハーサルをして、時間を掛けて取り組んだつもりです。新人だからといって、ある水準で妥協した作品にはなっていないと思います。
メジャー映画ではすくい取れないものを描きたい。そんな意図があったそうですね。
いまは言い掛かりが通る時代なので、映画もテレビも自主規制が厳しくなっています。この風潮が進んでいくと、社会には目を向けられなくなって、本当に小さな話しか生まれません。それは日本の空気の問題ですよね。例えば、この作品で四ノ宮が聡に拒絶されるようになるのは、「いじめってマスコミが作ってるんでしょ?」などと言う聡の妻、悦子の差別意識が発端です。言い掛かりを付けられた側が、何の罪科もないのに痛い目に遭うという状況が、いまの日本ではざらにあります。そんな日本のねじれた感じが描ければいいなと思いました。
『ぐるりのこと。』(08)も、「日本はなぜこうなってしまったのか?」という橋口監督の目線が反映されていましたが、
その時と比べて日本はさらに変わったと思いますか?
変わりましたよね。震災があって、原発事故があって。でも、それだけでなく、僕自身が変わりました。『ぐるりのこと。』の後、いろいろなことがあって、それまで信じていたものをすべて失いました。じゃあ、何を信じてもの作りをすればいいのかというところから、この映画も始まっています。日本も変わったし、僕自身も変わったんじゃないでしょうか。
すべて失った人間がその後の人生をどう生きていくか。登場人物も、橋口監督も、それを模索しているように思えます。
僕自身が体験したことはまったく別のことですが、そのまま描いても人には伝わらないので、その悲しみと同等のものは何かと考えました。それで奥さんを通り魔に殺された男の悲しみなら伝わるかな、と。妻を失ってから数年経って、歯を食いしばってがんばっているけど、どうにもならなくて「ごめんね」って泣いているような、その思いの中でどうやって生きていけるのか。アツシだけでなく、この映画の中では誰の問題も解決しません。でも、人間は生きていかざるを得ないんですよね。映画を作るうえで、僕は閉じた映画では駄目だと思っています。どんな悲しみや苦しみを描いても、人生を否定したくないし、自分自身を否定したくない。生きているこの世界を肯定したい。だから、最後には外に向かって開かれていく、ささやかな希望をちりばめたつもりです。人の気持ちの積み重ねが、人を明日へ繋いでいくんじゃないかなって。
ささやかでも、観る人にとって救いとなるような作品になったんじゃないでしょうか?
そうなってくれたらうれしいと思います。数年前、木下惠介監督の『二十四の瞳』の予告編を新たに作る仕事をして、改めて木下作品を観返したんです。その時、木下作品にも似たところがあったんだな、と。戦後、日本人がみな貧しく、厳しい現実を生きる中、木下作品には自分たちと同じような悲しみや苦しみ、ささいな喜びが描かれていて、当時の人々は我がことのように泣いたと思うんです。自分と同じ思いがこの映画の中に描かれていると思えたら、それだけで救いになるんですね。考えてみれば、『二十才の微熱』(92)を作った時もそういった部分があった気がします。当時はまだバブルの勢いが残っていた頃で、ノリこそすべて、暗いことはダサいことだという風潮がありました。でも、その中でやり場のない思いを抱えた人たちに対して、みんなと違っていていいんだよという思いを『二十才の微熱』で描いたんです。そういう意味では、今回の作品も同じなのかもしれません。
聞き手:門間雄介